薪割りからはじまるスローライフ、犬と共に生き方を変えてみること

山暮らしにあこがれて10年が経ち、毎日の忙しい日々に流されるように過ごす中でどうしても見捨てることのできない、自然の中で犬と暮らすという選択が目の前をチラついていました。子供のころからずっと都会で育ってしまえば、もう生きる場所はこのコンクリートジャングルしかないのだという思い込みも、都会での生活を楽にしてくれます。
ただ、ずっといっしょに暮らしている犬だけは、その生き方になじむということがありません。
犬にとって土を踏まない生活は、わたしたち人間が空気を吸わないのと同じようなものだったようです。硬いコンクリートの上を短いリードをつけられたまま、どんよりとした飼い主と歩かなければいけない犬にどれほどの喜びがあるのでしょうか。犬は次第に生気を失い、ただ目の前にあるオモチャだけをくわえるようになり、子犬のときに見せたような活き活きとした眼の輝きを忘れてしまったようでした。もう、飼い主である私に何かを尋ねることも忘れて、ただ与えられたものを食べるだけの毎日が続きます。
あるときふと犬の顔を見ると、もうその顔には「死」に等しいような影を見ることができます。こんな辛い思いをさせるために犬と暮らしたかったわけではないのに。そして時間がないというなら、いっそ山に暮らしてみてはどうだろうか。きっかけはわりと単純でシンプルなものでした。
山暮らしで犬は生き返り、犬の飼い主は絶え間なく生える草と戦い、寒い冬に備えて薪を割り、季節の移り変わりをただ眺めているだけの日々を過ごすようになりました。空間はいっぱいある、それに時間もあまるほどある。ないのはお金くらいだろうかと考えます。足りないお金に見合うだけのものが自然の中にあるかというと、あまりあるものがあるようにも感じます。そうだ、犬という動物が生気を取り戻して生きることのできる場所があります。得られたのは空間と時間、そして動物が生きるということがどういうことなのかということを感じることでした。スローライフといえぬほどの身体を動かす日々こそが、本当のスローライフなのかもしれないと思いながら毎日がすぎていきます。人生の中にこんな時間があることを教えてくれた犬には「貴重な経験をありがとう」という気持ちで、今日もまた薪を集める日々が続きます。